モラトリアム脱出したい学生の毎日

大学生活3年目…学生でいれることも残り少し。大人になるために、自分と向き合います

大切な人 *日常10*

 

今日は大切な人が、頑張っている日。

 

今ちょうど、頑張っているはず。

本当は会いに行きたいけど、遠すぎる距離がそれを難しくする。

 

 

他の誰かになんて渡したくない、そんな人。

相手をどれだけ幸せにできるか、常に考えることが、きっと幸せ。

 

 

その時がすべてって時間を、もう一度過ごしたい。

君と一緒に。

 

 

私は、素直になることが苦手だ。

だから、たくさん不安にさせるし、心配もかける。

だけど、いつも…心は君なしでは生きられないと思っている。

 

 

 

そんな君が今日を乗り越えて、また笑顔で会いに来てくれることを、

心から願っています。

 

 

がんばれ!

 

 

常に美しくとは *日常9*

 

今日私は、普段みえないところも美しくあるべきだと、実感した。

 

女性は体の悩みがつきないし、磨けば磨くほどきれいになれる。

 

 

フランスの女性たちのように常に自信にあふれて美しくいるためには、

自分にとって自信のない要素をどうにかくふうして自信に変える必要がある。

 

そのくふうが私には足りていなくて、逆にコンプレックスを気にしてしまうような一日だった。

 

 

先日の本を片手に、真剣に選んだワードローブだった服を着ていたにもかかわらず、

首筋や胸元のスカスカ感が気になって一日中リラックスできなかった。

 

 

これは、自信なんてでない。

今日の私のスタイルは、少し崩れたゆるいポニーテールと、友達にもらった

イヤリング、そしてお気に入りのズボンに助けられただけ。

 

 

それがなかったらもっと自信がなかった。

 

自信にあふれるためのくふうや、確認が足りなかった

 

 

 

これを機に、これからも素敵な暮らしの実現のために、試行錯誤したいと思った。

 

毎日のなかで、幸せでない部分をみつけたら、そこから逃げるのではなく、

どうにか自分らしく対処する。

 

それだけで、幸せの瞬間はどんどん長続きして、自分の暮らしもレベルアップする。

 

 

明日は、もっとリラックスできるような特別な日にしたい。

 

 

 

PS:遠距離恋愛中の恋人と少し距離を感じる…?まぁ大事なことは信じることかな。

 

 

フランスとパリ *日常8*

 

ずっと前から気になっていた、「フランス人は10着しか服を持たない」という本について…

 

自分自身の悩みとか、そういうものに敏感で考えやすい私は、

自己啓発系の本が好きで、今までで何冊も読んできた。そのたびに、読んだ後はすっきりとするのだが、なかなか本に書いてあることを実践できない。だから、ほんの一時的な心理効果で、後はうっすらとした知識だけが、胸の奥底に沈んでいく。

 

こんな自分だから、きっとこの本を読んでも同じようにある一瞬の効果で終わるのだろうって思った。だから、最近は自己啓発の本を読まなくなったというのもある。

 

 

だけど、この際だから、と読んでみることにした。

値段も、650円だったし…。

 

 

感想はずばり、すべてに納得できて、自分の生きる教本にしたいと感じた。

 

フランス人の暮らしぶりと、私の暮らしぶり…

持っているものとか身分とか、そういうものをとっぱらったとしても、心の面でも私は損をしていたようだった。

 

工夫次第では、こんなにも素敵な生活が送れるんだ。って…そう思った。

 

今日一日をどれだけ楽しく過ごせるか、について数日前のブログで書いた。

その時は、楽しいという概念が、例えばでかけたり、趣味に没頭したり、なんだか日常とは別のものであって、そんな毎日旅行に行けるわけもないので…結局楽しめてないとか思っていた。

 

でも、この本を読んであらためて”楽しさ”というものについて、私の脳内でつながった。

 

私は日常をどれだけ楽しんでいるか。

日常の中のどの瞬間が好きで、幸せと感じるのか。

 

日常に潜んでいて、自分では気づいていないような幸せが、思い返せばいくつもあった。

 

例えば私の場合…

一日の終わりやはじまりに、服を一気に脱いで頭のてっぺんからシャワーをあびる瞬間。

洗濯が終わって洗濯機の中や洗濯物が、大好きな柔軟剤の香りに包まれた時

部屋に自分のお気に入りのミストをふりまいた時

パジャマを脱ぎ、お気に入りの服にそでを通して鏡をみて着こなしを確認する時

寝起きの顔を冷たい水で洗い、化粧水を思いっきり吸い込ませる瞬間

ぱっとしないすっぴんから、少しだけ化粧をし、髪を整えて外出スイッチがONになる瞬間

一日の終わり、ベッドに飛び込んでいい香りがする布団をかけてまくらに頭をうずめる瞬間

 

思い出せば色々あった。そしてそれを私は今までは無意識に行っていた。

でも、この本を読んだ後…日常にあふれる幸せを実感しながら過ごすことができた。

 

大事なことは「何をするか」ではなくて「どのようにするか」ということ。

 

そんなことを学んだような気がする。

 

 

毎日の中にあった幸せを実感して過ごしていれば、心が満ちていき、毎日が特別なものになる。

たとえいつ死ぬことになっても、後悔しないくらい、日常を楽しめる。

 

これはあらゆることに精通する考え方だと思った。

 

そして、今まで私が悩んできたことの大半は、この本で解決された。

 

さっそくいくつかの事項を実行して、充実感を感じている。

 

まだ1度だけしか読んではいないけど、近いうちもう一度読んで。

繰り返し繰り返し読んで、私の心がフランス人に近づけるようになるまで、この本を大事な教科書にしたいと思った。

 

部屋に飾っておこうと思ったけどやめた。毎日持ち歩いてみることにする。

 

心が幸せで、解放された気分で…

今、とても落ち着いている。

前のように自分を卑下することは二度としない。

 

それは、フランス人には絶対にありえないことだから。

 

それはこの本に詳しく書いてある。

 

フランス人は10着しか服を持たない

ーパリで学んだ”暮らしの質”を高める秘訣ー

ジェニファー・L・スコット

 

 

私は、この本に感謝したいと思う。

 

 

PS:フランスに行きたくなった

 

 

自暴自棄 *日常7*

 

ばあちゃんに言われたこと…どうして自分がダメだと思うのかって話。それについて考えてみる。

 

自分がダメだと思う理由

自意識過剰なところ、自分を特別だと思ってる、口だけ、逃げてる、継続力なし、飽きやすい、人間のクズ、……

 

とりあえずこれらがぱっとでてきました。

クズって言葉は、細かいところに触れずに自分を否定できる言葉だよね。

だから、どこらへんがクズなの?って言われるとちょっと困る。

 

こういうふうに自暴自棄になりはじめたのは、いつだっけか…少なくとも小学生の時はこんな感じじゃなかった。…はず。

小学校、中学校、高校って振り返ると…小学校の自分が一番好きだったかもしれん。

別に、その他を否定する気はないけど…ってか否定したら終わりなんだけど…まぁでも否定したい気もすごいあるし、やり直したいと全力で思ってるかもしれない。 小学生の時はさそりゃあ世の中大変なことたくさんあるってこともあんまり知らなかったし、純粋に楽しんでいた。自分がやりたいことは、やりたいって言えたし、やりたくないことも、あんまり少なくて、意外に楽しむのが上手だった気がする。

その一方で、家族の問題とか抱えてて、小さいなりに色々考えることはあって。でもその問題はあんまり人に話さなかった。そして、あんまり深くは考えないようにしてたのかもしれない。自動的に。それは逃げとかとは別で、それについていくら自分が考えたところで、何にもならないってだけだったからね。本当に小さい頃の私は優秀。

 

一番好きな自分だったと全力で言える。小学校の自分が。

 

でもいつからか、完全に、他人の行動気にしはじめて、中2の頃には完全に沈着。

なんだか、動きづらい人生の中を勝手に生きてた。

自分を正当化したくて、でも他人の色々な部分みると悲しくって。

ただ楽しみたいだけなのに、なかなかそれもできなくなって…。

 

高校もそんな感じ。高校の時の自分は一番嫌い。

そして高校らへんに、家族の問題も節目を迎えることがあって…。

小学生だった自分にできた考え方や、自分の守り方が、高校の自分にはできなかったような…

だから正面から傷ついて、自暴自棄になって、どん底に落ちるばっかり。

 

その頃から、Youtubeにはまって。

自分の好きな人をみたり、その人の人生だったり、他の誰かの人生をみて羨ましいって思って…自分もこうなりたいって思うけど実際に行動にはうつせてなくて。

だけどひたすら、そんな気持ちを抱えながら動画みてた。人の人生、応援するわけでもなく、嫉妬するわけでもなく、ただよくわからないけど、私の日常は動画をみることだった。

そんなこんなで、そんな自分が今も変わってないのですよ。

 

でも、昔と違ったのは、当り前だけど人生生きずらくなったこと。

それは自分の考えのせいでもあり、他人のせいだった時もある。

 

大人になっていく過程でそれはしょうがないことなのかもしれないけど…

生きずらい世の中だって思う。

 

だから、死んだ方がマシなんて思うけど実際に行動できるわけもなくて。

結局なんなんだって言われると、また落ち込んで自分を責める。

 

自分を責めることで、自分を守ってた。開き直るっていうか、なんていうか…自分はクズってわかって生きてます的な。だからってそんな自分に自信があるわけじゃないから、よくわかんない奴になってる。

 

もう最近はかなりよくわかんない。自分もわからない。

 

っていう流れで、今にいたる。

精神やられてるからか、少し風邪気味である。

 

あーなんか、もうかなりしんどい。考えたくない。

 

ってなっちゃうんだよなー…。

 

 

どうしてこの世の中に誕生してしまったのか…私には全然わからん。

こんな私をみて神様も残念がってることでしょう。

一生こんな感じで中途半端な生き方してくんだろうなって思ってもう20年目。

 

今はまだ若いかもだけど、もう気づいたらきっと30になって40になって…

どんどん中途半端は広がってくんだろうなって感じ。

 

 

自分の人生のどこに価値をおくか、とかもうわからん。

 

 

てな感じで、私は自暴自棄がとまらない女なわけである。

 

なんだかよくわからない思いがぐるぐる胸の中にあって、しんどい。

気持ち悪い。

 

 

そんな自分すべてを肯定しましょう。

 

 

って言ったら、それができるかな?

自分大好き人間になりましょう。

 

 

それでええんかな。

 

 

自分に自信があるときは確かに自分のこと好きだったりする。

でも、その思いを断ち切られるようなことがあるとすぐしょげる。

 

だせぇーー

 

ってほらまた自暴自棄。

 

 

自分大好きになりたい。自分大好きだからこんな悩んでるのかも。

 

とりあえず、他人の考え気にして生きるのは嫌だ。

 

 

はぁー…解決しねえな。

 

ちゃっちゃと解決したいんだけどな。

 

 

 

嫌なことと武器 *日常6*

 

 

私が悩んでたことたちについては、まだ整理できてない。

 

んだけど…

 

 

少しだけ思い立ったのは、なんとなく決まった理由はないけれど

自分の武器としてもてるなにかを探してみたら

勉強って言葉がでてきた。知識がないと世の中うまくわたり歩くのは厳しい。…かもしれない。

 

そして、私の生きる価値観として、自分の仕事や好きなことをたくさんしたいって思うわけだけど…

 

もし、子供ができたら、子供には自由に生きてほしい。

その時、お金が必要だったら、それをちゃんと投資できるようになりたいと思った。

 

今の私は何不自由なく暮らせていて、好きなことをして学んでいられる。

それは親のおかげであることは間違いない。

 

現に今はバイトをせず、奨学金だけで生活しているし、こないだ帰省した時、親戚におこずかいをもらった。

 

これは、とても幸せなこと。

私の両親は、二人のチームワークで私をここまで育てあげてきた。

時には意見の衝突も繰り返しながらでもそれでも今の私の生活は、ほとんどは親の力でなりたっている。

下宿しているといえども、親がいなければ私は生活できない。

 

 

それは悔しいけど仕方のないことで、生きていくにはコストがかかる。

 

そして私はほどほどに良い暮らしがしたい人間だ。

でもそれは自分だけが?

 

って考えた時、親にも祖父母にも、自分の子供にも素敵な暮らしをしてほしい。

 

充実した暮らしは、人生を豊かにして心にも余裕をもてる。

そう、実感しているからだ。

 

 

小さい頃、狭い一階建ての一軒家で、部屋のたった一角を自分のスペースに割り当ててもらい、最初は嬉しく思ったが、こんな狭くてプライベートがないような生活は嫌だって、もっと広い家に住みたいってずっと思ってた。

少なくとも周りの友達はみんな2階建てで、一階建ての家なんてなかった。

 

とてもみじめに感じて、引っ越そう引っ越そうってずっと親に言い続けてた。

 

でも、私が高校3年生になる頃、あることをきっかけにその家をリフォームした。

私の部屋はとっても素敵な部屋で、もうそれは嬉しかった。

 

でもそんな家を1年過ごした後、大学のために出てきてしまった。

これはまあ、タイミングの問題だからしょうがないことではあるんだけど…

 

そういうことで、私が昔から言ってた、もっと広い家に住みたいってのを

私の両親は、自分たちの感性や工夫によって成し遂げたってわけ。

 

 

そんな両親が誇らしい。

 

そして、私も、自分にしてもらったように、子供に素敵な暮らしをさせてあげたい。

 

そのために自分ができる能力をみにつけようかなって少し思った。

 

自分は音楽がやりたいし、アートなことも好き。

そういうものに関わりたい気持ちはやまやまなんだけど、それに自分の努力や才能が比例してないことも理解している。

 

特別な人間だって思い込んでるだけってのもわかる。

 

だけど、この音楽を自分なりに最大限楽しむために、

 

とある勉強を進めて、テストを受けて、その能力が手に入った後でどうするかは

もう一度考えて、いつでもその武器を発揮できるような、そんなスキルを手に入れようと思う。

 

ここで自分に約束をした。

 

辞めたくなったら辞めていい。

 

そこの判断は、自由だ。

 

 

 

そして、自分にとってそれは嫌なことじゃないんだってことに気が付いた。

勉強ってだけで、高校生あたりからめんどくさいことだと思いがちだったけど…

 

同じように知識を手に入れてるって作業でも、自分にとって苦ではないことも

この世にはある。

 

それがその人にとって最高の勉強で、将来その人がもつかもしれない武器だ。

 

自分や大事な人を守るために、武器は存在する。

 

 

だから、嫌になるまで、やってみることにした。

 

 

 

PS:地べたに座って勉強すると足がしびれるので、安物だけど質のいいちょうどいいサイズのデスクを購入。これで家でもちょっとは作業しやすくなった。

おばあちゃんの言葉 *日常5*

 

おばあちゃんの存在って、すごく偉大だよね。

 

私は昔からばあちゃんが大好き。ばあちゃんがいれば、安心する。

 

 

そんなこんなで、午前中大学の講義をうけたあとの帰り、ばあちゃんと電話した。

自分が何をするべきか、完全に見失ってしまったので…相談したくて。

 

どうしてそうなったか?

 

私が今までしてきたことや決めてきたことたちは全部、誰かに褒められたくて選んできた道だった。自分のやりたいことよりも、周りの顔色をうかがって、周りに褒めてもらうことを優先していた。だから、この大学に来たのも、勉強したのも、ダイエットとかするのも全部、周りに褒められたいから。認められて、見返したいから。

 

親のせいにするわけじゃないけど、私の母親は、理想の母親像になれるようなすごく素敵な親だと思うんだけど、まっすぐで熱くて正しい人だからこそ、たまに苦しくなるときがある。悔しい気持ちから、頑張ろう、やりかえす、やってやるって思いにさせると、私は燃えるから、ってそういう教育方法だったことが多いかもしれない。

 

でも実際、それって辛いし、小さい頃はそれでやりきってなんとかなったことも、大きくなるとどうしてもできなかったり、気持ちだけではのりきれなかったり、本当はそれを心から好きじゃなかったり…要するに、手を抜くことが正しい判断な時もある。まぁ、グレーゾーンってやつなのかもしれないけど。

そのグレーゾーンを嫌うような人が私の母親。逆にいつも世間に対してグレーゾーンなのは父親だったりする。それはいいんだけど…

 

難しいけど、例えば、なにかをはじめてそれを途中でやめることは悪いことっていう意識が私の中にすりこまれてきた。人がなにを言おうと、別にやめたらいいしそれが自分の人生なわけなんだけど…辞めたら弱い。辞めたら情けない。ってそういうふうな考えがなんとなく親からすりこまれてきて、なかなかに厳しかった。

 

続けてやりきったところで、とても後悔することはないしなんだかんだでよかったと思えることはあるんだけど。辞めないっていう意思決定をするとき、私が一番重要視していたのは親の顔色だった。「辞めたいなら辞めればいいじゃん。」で、終わりにしてくれればいいものの、私の親は「辞めたいなら辞めれば?でもその後……」って何かが続く。その何かは私の意思決定に強く存在感を示してきて、弱い私はそれに勝てない。

まぁ、今の解釈はこうだけど…親が伝えたいことは他の部分だったのかもしれないから何とも言えないけど。でも少なくともそれは私にとって違和感として残っていたりする。

 

そういうわけで、そんな母親に褒められたくて、認められたくてしょうがない思いが心にずーっとある。

だから、人に認められたいということが根本的課題になってしまうこともたまにある。

 

昔はそうじゃなかったのに、今そう変わってしまったこともある。

それが趣味に響いてきた。

 

音楽

 

これがやっかいもので、わたしにとってのほぼ唯一の大事なものだったんだけど…

気が付いたらそれも、心の中の承認欲求に侵されてしまっていた。

 

ステージにたってライブをする優越感とか、うまいね、上手だねって言われることの優越感がほしくて、それが絶対に手に入らない可能性があるとびびって視野が狭くなる。ステージにたちたくないと思い始める。そんな自分があほらしくて言葉がでない。

 

いよいよ末期ということで、私はばあちゃんに助けを求めた。

 

 

ばあちゃんはいつも通り優しくて、前向きだった。

いつも前向きで、何かを一生懸命やって極めてきた私のばあちゃんは誇りだ。

 

そんなばあちゃんが、自暴自棄の私に言ったことは…

 

今までの自分はだめだったと思うのではなく、ここまで自分はやってこれたじゃん

って思うこと。

 

何かが続かないのは、自分には合わなかっただけで、自分に継続力とか飽きっぽいとかそういう能力が衰退しているわけじゃないよ。

 

自分でできないと思ったら、何もできないよ。そして、やってみなくちゃわからない

 

と、いうことだった。

 

私は今まで自分を責め続けてきた。自分に厳しくしないと成長できないと思ってた。

自分に厳しすぎたし、受け入れてなかった。変な見栄とかプライドとかで、そのままの自分を受け入れられなかった。

でも、それで行動がともなってればいいけど、ともなってない。

 

こんな状況の私が今なにをすればいいかな?って聞いたら、

 

どうして自分がダメだと思うのか、その原因をちゃんと理解すれば、あきらめがつく。

逆に、あきらめがつかなければそれは自分の好きなことなんだよ。

 

と助言をくれた。

 

 

 

考えてみることにする。

 

ばあちゃんありがとう。

 

 

 

PS:自分が何を言っているのかたまにわからなくなる。文章力があるのかないのか。

 

 

 

 

ライブ *日常4* 

 

今日をどれだけ楽しくすごせたか

 

お昼に友達とご飯を食べて、うどんがおいしくて…

そのあとにあったミーティングでも、楽しいことがあった。

あとは、5限を受ける前に、友達と談笑して…

放課後は、後輩のライブをみた。

 

すごく楽しかった。でも、まだまだ楽しめるはず。

 

 

そしてもう一つ…今日の本題はライブ。

 

 

後輩のライブ。

みんなはじめてのステージなのに、緊張しながらも自分の力を精一杯出して頑張っていた。

とっても輝いていた。

 

演奏することが、バンドしてることが、本当に楽しいんだなってそういうことが伝わってきた。たくさん練習したんだろうな…って。よくある、自分を守るためのMCなんてしてなくて、彼らが話した言葉は、本当にバンドが好きなことがわかるような、なりきっているようなものだった。

言葉は少なくても、あ、良いなって思えるライブだった。

 

自己満でもなんでもいい。

自分がどれだけ楽しめるかで、きっとそれでいい。私たちがつくるステージはそれでいい。

 

見る人に頼って甘えて、自分を誇って変な自信をもつよりも

自分に頼って、自分の力を心から信じて…それを最後までやりきることが、それがライブだっていうことに、今更気が付いた。

 

恥ずかしいとか、痛いとか、ダサい、かっこわるいとかそんなんどうでもいい。

 

どんなに歌が下手でも、伝わるものは伝わる。

感情は必ず、体からあふれでる。あふれてきた感情がそのままその人になって、それが音にのって私たちの目にはいる。

 

そういう瞬間が、たくさんあった。

 

そんな後輩が、とてもとてもかっこよかった。

 

私は、音楽とどう向き合うのか…もう一度考える必要があると思う。

 

 

私がやりたい音楽はいったいなに?

プロじゃないんだから…好きなようにやればいいんだ。音楽なんて無限にある。無限の可能性の中で、一人の音楽好きとして表現できることが必ずある。思うままそのままにやっていれば、それは必ず人に伝わる。かっこわるくなんてない。

 

それをかっこわるいと思うやつは、一生かっこよくなんて生きられない。

 

今までの私のように、かっこよくもなんともない。

 

 

音楽のすばらしさを伝えてくれた後輩たちに、感謝したい。

 

 

そしてもう一度、自分の音楽に対する考えを、近いうちに整理してまとめたい。

 

 

PS:太った?と一言友達に言われたことが本当にショックで、哀しいことだった。でも、それに負けないくらい、楽しんだ。それでいい。でもやっぱ気になるからなんとかしようっと笑