モラトリアム脱出したい学生の毎日

大学生活3年目…学生でいれることも残り少し。大人になるために、自分と向き合います

感情のコントロール

 

今日一日の半分以上を、私は不機嫌で過ごした。

 

どんな性格診断や、占いをしても、必ずといってよいほど書いてある私の欠点がある。

それは、

 

感情で動くこと

 

 

感情に支配され、感情に負ける。

 

そんな経験を嫌というほどしてきた。

そして、それは時に人を傷つけることもある。

 

私の感情は、私によってコントロールできていない。

 

気分転換など、そんなこと容易にできない。

というか、何か気がまぎれることをしても、そのことを思い出すだけで腹が立つ。

 

そしてそういう自分自身にも、腹が立つ。

 

 

悪循環のはじまりだ。

 

 

思いきった行動ができるのは、その一瞬、一時の高揚した感情からだ。

怒りもそれと同様、感情がわきおこれば、なかなか回避できない。

 

 

感情とつきあうのはめんどう。でも、感情がなければ、きっとつまらないのも確か。

 

 

他の人よりも、感情に支配されやすいのは、

一体どうすれば治るのだろうか。

誰かに迷惑をかけ、誰かを傷つけ、そして自分自身も傷つける。

 

たった一時の感情で、すべてを無駄にしかねない。

 

感情ごときにどうして打ち勝てない。

 

試行錯誤をしても、結局はその時感じたことが、すべてを支配する。

 

 

感情のコントロールができれば、

 

「大人だね~」「成長したね~」「けなげだね~」

 

なんて言われるのだろうか。

 

世間の人々はきっと上のようなことを口にするだろう。

感情に支配されないことが、大人になるということであろうか。

それなら自然と、大人になれる日がくるのだろうか。

 

 

でも、私の場合…これは先天的にもつ性質かもしれない。そんな気がする。

 

 

私は思うことがある。

 

感情を押し殺すことについて、私はいつも理解できない。

 

どうして、本当に思ったことや感じたことを隠す必要があるのか。

なぜ、自然な感情を押し殺してまで、そうでない自分を演じるのか。

 

世間体を守るため?はたまた自分を守るため?人を救うため?

 

 

嘘をつくことはよくないというのに、なぜ自分に嘘をつくの?

 

自分に嘘ついたことを、優しい嘘だのなんだの言って正当化するの?

感情をそのまま外にだしてはいけないのか?

 

その感情が楽しいものや嬉しいものじゃないとしたら、

それは押し殺して隠しとおして、無理をするのか?

 

それが大人だっていうのか?

 

疑問はどんどん増えていくばかり。

 

 

大人になるのは到底無理な気もしてきた。

大学生になってもう3年目なのに、大人に近づくどころか対抗したいという気持ち。

 

みんなそうやって、大人になっていくの。

 

そんなこと、理解できやしない。

 

 

でも、感情をそのまま感じることで私は失敗を招く性格のようだ。

それはなんとなく今までの経験からもわかる。

 

感情を感じず、いつも冷静でいることなんて、絶対に無理に近い。

 

どうすればよいのか、わからなくなってきた。

 

 

でも一つだけ、思いつくとしたら

 

受け入れる

 

という言葉が、頭に浮かんだ。

 

それはどこかで、何かの時に私が修得したような哲学的な話で出てきた言葉。

 

受け入れることの難しさを私は知っている。

だけれど、受け入れることで得ることも、なんとなくわかる。

 

 

今日だけではこの問題は解決できない。

もう少し、向き合って考えて答えを出したい。

 

 

感情のコントロール

受け入れること

 

 

これがきっと私の課題の一つなのかもしれない。

 

 

過去の自分から

 

 

過去の自分から、学ぶことがある。

 

みんなきっと、そういうことがあると思うけれど…

私は特に、未来の自分へ贈り物をしている気がする。

 

と、いうのも、中高生の時に撮ったプリクラを整理したことがこの話をしようと思ったきっかけだ。

 

大学で下宿し始めて、なんとなく必要と思って持ってきていたプリクラの束。

なんでかはわからないけれど、今まで撮ったプリクラはずっと同じところで保管し続けてきた。

それをわざわざワンルームの部屋に持ち込んで、一体なんになるのだろうか。

結局、大学3年間、そのプリクラをみることはなかった。

 

でも、ようやく色々なことが落ち着いてきたある日。

棚を開けたときに目に入ったプリクラ。そして、その隣にあった過去5年間分の手帳。

いつか、ちゃんと思い出の整理をしようと思っていた。

プリクラの日付をみて、その日付のページに貼る。

 

その作業をしようと、思っていた。それが、私にとっての思い出の整理になるかと。

 

 

プリクラの枚数は信じられないほど多く、どうしてこんなに何度も撮ったのか…過去の自分に飽きれた。

まずはバラバラに束ねられたプリクラを、中学、高校、とわけた後で、西暦で分類して、さらに細かく月日の順に並べる。

それを、手帳の該当するページに貼って、余った分はその手帳の空ページにひたすら敷き詰めて貼っていく。

 

もちろんしっかり切って、すきまなく貼る。

 

昨日からはじめて、今日もほとんどその作業に時間を費やした。

何時間かかったのかもわからないが、なんとかその作業を終えた。

 

私の使い込まれた古い手帳たちは…手帳としての記録だけじゃなく、プリクラの記録も付け加えられた、”プリ帳” へと進化したのだった。

 

細かい作業をやる中で、やっぱりプリクラをこんなにも撮った意味が見いだせず、疑問ばかり残っていた。

 

だが、たった一枚のプリクラで、当時の瞬間の一つ一つを思い出し始める感覚を覚えた。これはとっても不思議で、今まで忘れられていた、引き出しにしまわれた記憶たちが、一つ一つ取り出されていくようなものだった。

その時に起こったこと、出会った人、話したこと。その中で自分が感じたこと。

それらが部分的に、ぽんぽんと頭に浮かび、思い出された。

 

自分はこんなことを感じていたんだな

そういえばこのときはあぁだったな

 

なんて感情が、自然に湧き起こってきた。

 

そしてそれはとても懐かしく、愛しい思い出になっていた。

 

 

 

きっと、これが私が今までプリクラを撮った意味じゃないかな。

 

過去の自分から、得ることがある。

そして、自分は間違っていなかったと、自分らしく踏ん張って生きていたことを知り、また頑張ろう。と思わせてくれるような、そんな思いでたち。

それは、私の場合、手帳とプリクラだった。

 

一緒に写っている人の大切さ。そしてその人たちに対する感謝の気持ち。

 

そういうものは、視野が狭くなっているときに、忘れてしまいがちなもので…

でも、忘れてはいけない大切な大切なことで…それを思い出すことで、自分は救われ、満ち足りた気持ちになれる。

 

この人たちが大好きなんだということ。

自分には必要だった、そしてこれからも必要なんだと。

 

分からせて気づかせてくれるものだ。

たった一度しかプリクラを摂ってない人もいる。でもそれも、過去の自分からのプレゼントで、今の自分を少なくとも必ず、形作る要素になっている。

 

 

手帳のポケットに挟まれていた、一通の手紙。

それは5年前の私からの手紙だった。

 

そんな、ドラマや映画のようなベタなことをよくしていたと思う。

でも、文章を読んだとき、驚いた。

 

今の自分が悩んでいるような、気にしているようなことを、過去の自分はちゃんとわかっていた。そして、励ました。私にとって正しい道へ進めるようにと。

 

 

それで私は、過去からまた新しいことを学んだ。

 

 

そしてこれからまたつまずいて悩んだときは、このルーツに戻ろうと思う。

そう決めた。

 

過去の自分へ、ありがとうと言いたい。

 

 

謙虚という強さ

 

私はときどき感じることがある。

 

自分は慕われていないんじゃないかって…

 

人と比べることはよくないことだけど、比べてしまうのが私で。

 

あの人はどうして、って思ってしまうことがたくさんある。

 

 

無責任で、実行力にかける。

口先だけで物を言っても誰の心にも響かない。なんともならない。

 

 

私はもう少し、謙虚に生きるべきかなって思った。

 

 

でも、謙虚というのは、自分がないとかとは全然違う、

本当の意味では、謙虚な人ほど、自分を強くもっているってことなんだと思う。

 

 

自分はきっと変われるんじゃないかなって、毎回思ってきた。

 

 

でも、結果なんてよくわからない。

どうしても、心の中にいる幼稚な私が主張してきて、それに勝つことができない。

 

 

でもこれから将来、色々な人と関わる中で、今までと一緒の自分では、

同じような失敗や思いを繰り返してしまうかもしれないと思う。

 

 

だから、少しずつ、謙虚で強い人間になるために、

少しずつ少しずつ、いろんな人をまねたりもしながら、

自分を再生していこうと思う。

 

 

自分の軸があまりない今だから、ここだけは譲れないというような思いを

もてる日がくることを信じて。

 

 

 

大切な人 *日常10*

 

今日は大切な人が、頑張っている日。

 

今ちょうど、頑張っているはず。

本当は会いに行きたいけど、遠すぎる距離がそれを難しくする。

 

 

他の誰かになんて渡したくない、そんな人。

相手をどれだけ幸せにできるか、常に考えることが、きっと幸せ。

 

 

その時がすべてって時間を、もう一度過ごしたい。

君と一緒に。

 

 

私は、素直になることが苦手だ。

だから、たくさん不安にさせるし、心配もかける。

だけど、いつも…心は君なしでは生きられないと思っている。

 

 

 

そんな君が今日を乗り越えて、また笑顔で会いに来てくれることを、

心から願っています。

 

 

がんばれ!

 

 

常に美しくとは *日常9*

 

今日私は、普段みえないところも美しくあるべきだと、実感した。

 

女性は体の悩みがつきないし、磨けば磨くほどきれいになれる。

 

 

フランスの女性たちのように常に自信にあふれて美しくいるためには、

自分にとって自信のない要素をどうにかくふうして自信に変える必要がある。

 

そのくふうが私には足りていなくて、逆にコンプレックスを気にしてしまうような一日だった。

 

 

先日の本を片手に、真剣に選んだワードローブだった服を着ていたにもかかわらず、

首筋や胸元のスカスカ感が気になって一日中リラックスできなかった。

 

 

これは、自信なんてでない。

今日の私のスタイルは、少し崩れたゆるいポニーテールと、友達にもらった

イヤリング、そしてお気に入りのズボンに助けられただけ。

 

 

それがなかったらもっと自信がなかった。

 

自信にあふれるためのくふうや、確認が足りなかった

 

 

 

これを機に、これからも素敵な暮らしの実現のために、試行錯誤したいと思った。

 

毎日のなかで、幸せでない部分をみつけたら、そこから逃げるのではなく、

どうにか自分らしく対処する。

 

それだけで、幸せの瞬間はどんどん長続きして、自分の暮らしもレベルアップする。

 

 

明日は、もっとリラックスできるような特別な日にしたい。

 

 

 

PS:遠距離恋愛中の恋人と少し距離を感じる…?まぁ大事なことは信じることかな。

 

 

フランスとパリ *日常8*

 

ずっと前から気になっていた、「フランス人は10着しか服を持たない」という本について…

 

自分自身の悩みとか、そういうものに敏感で考えやすい私は、

自己啓発系の本が好きで、今までで何冊も読んできた。そのたびに、読んだ後はすっきりとするのだが、なかなか本に書いてあることを実践できない。だから、ほんの一時的な心理効果で、後はうっすらとした知識だけが、胸の奥底に沈んでいく。

 

こんな自分だから、きっとこの本を読んでも同じようにある一瞬の効果で終わるのだろうって思った。だから、最近は自己啓発の本を読まなくなったというのもある。

 

 

だけど、この際だから、と読んでみることにした。

値段も、650円だったし…。

 

 

感想はずばり、すべてに納得できて、自分の生きる教本にしたいと感じた。

 

フランス人の暮らしぶりと、私の暮らしぶり…

持っているものとか身分とか、そういうものをとっぱらったとしても、心の面でも私は損をしていたようだった。

 

工夫次第では、こんなにも素敵な生活が送れるんだ。って…そう思った。

 

今日一日をどれだけ楽しく過ごせるか、について数日前のブログで書いた。

その時は、楽しいという概念が、例えばでかけたり、趣味に没頭したり、なんだか日常とは別のものであって、そんな毎日旅行に行けるわけもないので…結局楽しめてないとか思っていた。

 

でも、この本を読んであらためて”楽しさ”というものについて、私の脳内でつながった。

 

私は日常をどれだけ楽しんでいるか。

日常の中のどの瞬間が好きで、幸せと感じるのか。

 

日常に潜んでいて、自分では気づいていないような幸せが、思い返せばいくつもあった。

 

例えば私の場合…

一日の終わりやはじまりに、服を一気に脱いで頭のてっぺんからシャワーをあびる瞬間。

洗濯が終わって洗濯機の中や洗濯物が、大好きな柔軟剤の香りに包まれた時

部屋に自分のお気に入りのミストをふりまいた時

パジャマを脱ぎ、お気に入りの服にそでを通して鏡をみて着こなしを確認する時

寝起きの顔を冷たい水で洗い、化粧水を思いっきり吸い込ませる瞬間

ぱっとしないすっぴんから、少しだけ化粧をし、髪を整えて外出スイッチがONになる瞬間

一日の終わり、ベッドに飛び込んでいい香りがする布団をかけてまくらに頭をうずめる瞬間

 

思い出せば色々あった。そしてそれを私は今までは無意識に行っていた。

でも、この本を読んだ後…日常にあふれる幸せを実感しながら過ごすことができた。

 

大事なことは「何をするか」ではなくて「どのようにするか」ということ。

 

そんなことを学んだような気がする。

 

 

毎日の中にあった幸せを実感して過ごしていれば、心が満ちていき、毎日が特別なものになる。

たとえいつ死ぬことになっても、後悔しないくらい、日常を楽しめる。

 

これはあらゆることに精通する考え方だと思った。

 

そして、今まで私が悩んできたことの大半は、この本で解決された。

 

さっそくいくつかの事項を実行して、充実感を感じている。

 

まだ1度だけしか読んではいないけど、近いうちもう一度読んで。

繰り返し繰り返し読んで、私の心がフランス人に近づけるようになるまで、この本を大事な教科書にしたいと思った。

 

部屋に飾っておこうと思ったけどやめた。毎日持ち歩いてみることにする。

 

心が幸せで、解放された気分で…

今、とても落ち着いている。

前のように自分を卑下することは二度としない。

 

それは、フランス人には絶対にありえないことだから。

 

それはこの本に詳しく書いてある。

 

フランス人は10着しか服を持たない

ーパリで学んだ”暮らしの質”を高める秘訣ー

ジェニファー・L・スコット

 

 

私は、この本に感謝したいと思う。

 

 

PS:フランスに行きたくなった

 

 

自暴自棄 *日常7*

 

ばあちゃんに言われたこと…どうして自分がダメだと思うのかって話。それについて考えてみる。

 

自分がダメだと思う理由

自意識過剰なところ、自分を特別だと思ってる、口だけ、逃げてる、継続力なし、飽きやすい、人間のクズ、……

 

とりあえずこれらがぱっとでてきました。

クズって言葉は、細かいところに触れずに自分を否定できる言葉だよね。

だから、どこらへんがクズなの?って言われるとちょっと困る。

 

こういうふうに自暴自棄になりはじめたのは、いつだっけか…少なくとも小学生の時はこんな感じじゃなかった。…はず。

小学校、中学校、高校って振り返ると…小学校の自分が一番好きだったかもしれん。

別に、その他を否定する気はないけど…ってか否定したら終わりなんだけど…まぁでも否定したい気もすごいあるし、やり直したいと全力で思ってるかもしれない。 小学生の時はさそりゃあ世の中大変なことたくさんあるってこともあんまり知らなかったし、純粋に楽しんでいた。自分がやりたいことは、やりたいって言えたし、やりたくないことも、あんまり少なくて、意外に楽しむのが上手だった気がする。

その一方で、家族の問題とか抱えてて、小さいなりに色々考えることはあって。でもその問題はあんまり人に話さなかった。そして、あんまり深くは考えないようにしてたのかもしれない。自動的に。それは逃げとかとは別で、それについていくら自分が考えたところで、何にもならないってだけだったからね。本当に小さい頃の私は優秀。

 

一番好きな自分だったと全力で言える。小学校の自分が。

 

でもいつからか、完全に、他人の行動気にしはじめて、中2の頃には完全に沈着。

なんだか、動きづらい人生の中を勝手に生きてた。

自分を正当化したくて、でも他人の色々な部分みると悲しくって。

ただ楽しみたいだけなのに、なかなかそれもできなくなって…。

 

高校もそんな感じ。高校の時の自分は一番嫌い。

そして高校らへんに、家族の問題も節目を迎えることがあって…。

小学生だった自分にできた考え方や、自分の守り方が、高校の自分にはできなかったような…

だから正面から傷ついて、自暴自棄になって、どん底に落ちるばっかり。

 

その頃から、Youtubeにはまって。

自分の好きな人をみたり、その人の人生だったり、他の誰かの人生をみて羨ましいって思って…自分もこうなりたいって思うけど実際に行動にはうつせてなくて。

だけどひたすら、そんな気持ちを抱えながら動画みてた。人の人生、応援するわけでもなく、嫉妬するわけでもなく、ただよくわからないけど、私の日常は動画をみることだった。

そんなこんなで、そんな自分が今も変わってないのですよ。

 

でも、昔と違ったのは、当り前だけど人生生きずらくなったこと。

それは自分の考えのせいでもあり、他人のせいだった時もある。

 

大人になっていく過程でそれはしょうがないことなのかもしれないけど…

生きずらい世の中だって思う。

 

だから、死んだ方がマシなんて思うけど実際に行動できるわけもなくて。

結局なんなんだって言われると、また落ち込んで自分を責める。

 

自分を責めることで、自分を守ってた。開き直るっていうか、なんていうか…自分はクズってわかって生きてます的な。だからってそんな自分に自信があるわけじゃないから、よくわかんない奴になってる。

 

もう最近はかなりよくわかんない。自分もわからない。

 

っていう流れで、今にいたる。

精神やられてるからか、少し風邪気味である。

 

あーなんか、もうかなりしんどい。考えたくない。

 

ってなっちゃうんだよなー…。

 

 

どうしてこの世の中に誕生してしまったのか…私には全然わからん。

こんな私をみて神様も残念がってることでしょう。

一生こんな感じで中途半端な生き方してくんだろうなって思ってもう20年目。

 

今はまだ若いかもだけど、もう気づいたらきっと30になって40になって…

どんどん中途半端は広がってくんだろうなって感じ。

 

 

自分の人生のどこに価値をおくか、とかもうわからん。

 

 

てな感じで、私は自暴自棄がとまらない女なわけである。

 

なんだかよくわからない思いがぐるぐる胸の中にあって、しんどい。

気持ち悪い。

 

 

そんな自分すべてを肯定しましょう。

 

 

って言ったら、それができるかな?

自分大好き人間になりましょう。

 

 

それでええんかな。

 

 

自分に自信があるときは確かに自分のこと好きだったりする。

でも、その思いを断ち切られるようなことがあるとすぐしょげる。

 

だせぇーー

 

ってほらまた自暴自棄。

 

 

自分大好きになりたい。自分大好きだからこんな悩んでるのかも。

 

とりあえず、他人の考え気にして生きるのは嫌だ。

 

 

はぁー…解決しねえな。

 

ちゃっちゃと解決したいんだけどな。