モラトリアム脱出したい学生の毎日

大学生活3年目…学生でいれることも残り少し。大人になるために、自分と向き合います

遠距離恋愛2

 

 

 

何をしていても、思い出してしまう。

 

悲しいくらいに鮮明な記憶が、私の頭の中にあって

それがあらゆる現実のものと結びついては、

私の心に響きかける。

 

 

 

そんな体験をしたことある?

 

 

忘れたくないことばかりだけれど、ずっと覚えていれば

辛いのかもしれない。

その人がいなくても頑張れるということを世界に証明し続けないといけない。

 

それが前にすすむということで、そこにマイナスな感情はもっていけない。

 

 

心から大切な人がいる瞬間を、経験してしまったら

その人がいない世界を過ごすことが辛くて辛くてしかたがない。

 

その人がいた場所に行くことが辛く、とても心にのしかかってくる。

 

でも、その一瞬一瞬が本当に幸せだったと思う。

 

 

だから、その幸せに勝てる幸せが訪れるまで、

どうにか自分を保っていかないといけない。

 

 

なんてつらすぎる。

これを糧に生きろなんて、神様はとてもストイックだね

 

 

 

 

これは

 

 

喪失感

 

 

 

喪失感を、経験したのは

人生で二度目。

 

 

一度目は、大切な家族だった愛犬。

 

彼と呼ぶ、その私の犬は、

私にとってとっても特別だった。

 

小さい頃から一緒にいたから。

私の心の中にいつも寄り添ってくれていた気がした。

彼を思い出せば、思い出すほど悲しくって仕方ない。

 

思い出さないように、でも忘れないように

それはっきりいって難しい。

 

技術がいる。

 

思い出さないように生きることと、忘れないように生きること。

 

 

 

その人やその瞬間、ぬくもりや言葉

 

全てのものが

その時自分の幸せになっていて、その幸せが大きいほど喪失感も大きい。

 

 

喪失感が容赦なくふりかかってくる。

 

気を紛らわそうにも、紛らわすことができない。

寝たとしても、夢に必ず登場する。

 

 

喪失感は遠距離恋愛最大の、壁かもしれない。

 

 

でも喪失感には負けたくない。

素晴らしい思い出と、希望が、私を歩かせる。

 

 

 

思う存分、今は喪失感にひたってやるけど、

負けを認めたわけじゃない。

 

私の大嫌いな喪失感を、私の力の一部にしてやる。

 

 

でも今日はまだ喪失感が消えない。

 

 

 

 

目をみて話せる?

 

 

今日も今日とて、突然の話ではあるんだけど…

 

あなたは、誰かと会話するとき目をみて話せますか?

 

 

という質問をしたい。

 

 

なんとなく話をしているときって、目をみることが気まずいと思っちゃって

なんか焦って早口になったり、目が泳いだり…

 

私はいつも、会話してるときどんな感じなんだろうと

思ったとき、自分の姿が滑稽すぎてゾッとした笑

 

私は人に相談されることが少ないと思うし、

話を聞いてない、適当な返事だといわれることがまぁよくある。

 

 

それって、会話の仕方に問題があったのかもしれない。

ある時は、確かに他人に興味がなくて自分の話ばかり人におしつけたいと思っていた。…最低なやつだ。

 

でも、ちゃんと人と向き合おうと思った時からは、

その人のこと考えながら会話してる。…つもりだった。

 

でも、本当に伝えたいことがうまく伝わらなかったり、

話の途中に、なんだか窮屈さを感じてさっさと一人になりたいと思ったりすることも

よくあった。

 

窮屈さを感じない相手は、数人だけ。

まぁそれは親友といえるような子たちだから、少なくて全然かまわないけど。

 

でも会話っていう会話は、人と人の関係を構築するなかで

絶対に必要なことだから、それをうまくできないってことは

コミュニケーションがうまくとれてない可能性はある。

 

 

ただ笑ってごまかして、ジョークを言ってればいいやとか

業務連絡だけ話せばいいやとか、

そういう、いわゆる”逃げ”みたいな部分が私にはあった。

 

 

今もある。

 

でも、窮屈なままの自分でい続けても、そこから窮屈さはなくならないかもね。

 

本気で会話しているとき、自分が思ったこと感じたことをそのまま相手に

伝えて、自分がこう言いたいと思ったことをはっきりと相手の目をみて

口にすることができたら…

そういう自分を非難する人もいるかもしれないし、そういう人の方が多いかもしれないけど、逆に、自分をはっきりと理解してくれる人もいるかもしれない。

 

本気で話せば、本気でわかってくれる人が、あなたと同じことを考えてるよっていう

人がいるかもしれない。

 

その人の存在に気づける。

 

そこから信頼がうまれて、大丈夫っていう安心がともなって…

人とつながれる。

 

 

信頼関係のはじまりはそこからかもしれないよね。

 

 

 

今の私に本気で信頼している相手がいるのかどうか、

もう一度考えてみたい。

そして、信頼すべき相手は、私が頼り頼られるべき相手は誰なのか

もう一度考えてみようと思う。

 

 

そして相手の目をみて、しっかりと相手と会話できるようになりたい。

 

 

 

 

 

神様は気がついてる

 

 

今日は、私の新しいアルバイト先であったとある話をしたい。

 

 

事情はともかく、最近の私はイライラして人嫌いで、

とてもじゃないけど幸せなんて感じられてなくて

それはもしかしたら体調が悪いからなのかもしれないけど

薬を飲んで落ち着かせないとどうにもイライラしてしまって

精神不安定だった。

 

 

そんな中、休み明けにいったアルバイト先で

同僚の言った言葉が頭からずっと離れないわけです。

 

 

ただのコンビニエンスストアで、

店内にはイートインスペースがあって、そこにはいろんな色のいすが並べてあった。

 

窓側の一人席。

そして丸いテーブルを囲む3人席。

 

私は掃除を任され、この椅子たちをどうやってどかしながら掃除をしようか考えていた。

 

そして、その同僚がきて

自分がやっているある一つの掃除方法を教えてくれた。

 

 

掃除方法が特別だったわけじゃない。

 

いろんな色のいす。コンビニではめずらしいかもしれない。

見た目は確かに、カラフルでかわいらしい。

私がはじめに店内に入ったときも、

そう感じた。コンビニの一角だけど、素敵な空間だと感じた。

 

 

その椅子たちも毎日同じ配置では簡単に変わりない風景となってしまう。

私の目もきっと、もう慣れた。

 

あの場所を使う人の気持ちや目線よりも、あの場所をよく知っている店員としての

目線になってしまっていた。

 

それが悪いことではない。

けれど、同僚がいった。

 

 

「俺はね、掃除のついでに椅子の配置、変えたりしてみてる。」

 

最初はその意味がわからなかったし、

どうしてそんなことしてるのかと思った。

 

”どうでもいい”

 

と思った。すぐにそう思ってしまった私の心は、なんだか悲しい。

 

私が不思議そうな反応をしていると、

「毎日ここに来る人がいつも同じだとあれかなーと思って。」

 

と照れ笑いしながら言った。

 

 

 

心に衝撃がはしった。

こんなに世界に優しい人がいたのだと、私は実感した。すごくすごく実感した。

 

 

私の働くコンビニは特殊で

病院や介護施設など医療系の建物の並んだ敷地内にあって

訪れるお客さんは、どこか怪我をしていたり、高齢だったりする方が

多かった。

 

 

毎日同じ景色をみることが、不幸せなわけではないけれど

それが人生に悲しさや、つまらなさを感じさせてしまう時もある。

 

幸せな心がみる世界はきっといつも明るく素敵で幸せにうつる。

 

 

けど、哀しさやつまらなさ、景色がくすんでみえる人は

心になにかしらの不安がまとわりついていることが多い。

 

その心は、人々の気遣いによって和らぐこともある。

 

 

私の同僚が、次使う人のために、毎日ここを訪れる人のために、

いすの色を変えていた。

それは彼の気遣いで、それはもしかしたら、どうでもいいことで

そんなことで何が変わるっていうようなことかもしれない。

 

 

でも、その気遣いにきっと救われている人がいる。

知らずに、心が温まってるかもしれない。

 

 

私はきっと彼のことを、神様がちゃんとみていて

そういう彼みたいな人が、この世界でものすごく強くて貴重な存在なんだと

いうことに気がついた。

 

 

私は彼のことをとってもとっても素晴らしい人だと感じた。

そして、そんな優しい同僚のことを

好きになった。

 

それは恋愛感情の好きとかとは別で、なんだか人間としての魅力を感じたと

いうか…

 

 

世界にはこんなに素敵な心をもった人がいることを

神様きっと見落としてはいない。

 

 

 

 

自分を大切にすること

 

 

自分を大切にしていますか?

 

 

この質問に答えられる、”大人”はいったい何人いるのでしょうか?

 

今の私は胸をはって、イエスと答えられる。

どうして、ここまで心が変わったのかあまり自分でもわかっていないけれど、

とにかく自分の感情や、欲望に対してうまいことコントロールすることで、

その先にある未来を見据えることができたような気がする。

 

私は、私の中に住むもう一人の自分を教育役にして、うまいこと自分を抑制しつつ、解放しつつ、過ごせていると思う。

 

 

まずは、昨日紹介した本にならって、

常にご機嫌な自分でいることを実践してみた。

 

思い返せば、私が軽くうつになっていたときは常に不安や焦りがあって悲しさも怒りも絡まって、不機嫌な気持ち、イライラな気持ちがとまらなかった。

それは他人にむけて発動してしまうこともあり、そのことがさらに自分を責める要因となって、悪循環がうまれてしまっていた。

 

でも今は、一つ一つの自分が感じたことに敏感になって素直にその気持ちを受け止めて、それに対してもう一人の自分が、優しく語りかけて寄り添ってあげることでマイナスの感情をプラスに変える、また、気にしなくてすむようになった。

 

それは言いかえれば自分を大切にすることと同じことで

意外とみんなできていないことかもしれない。

 

 

自分の感情を否定したり我慢したりしては、いつか自分が失われてしまう。

性格なんて簡単に変えられない。

だから、自分が嫌なものは嫌なままで、好きなものはきっとこれからも好きなままで、

もしかしたらその好きなものは、一瞬にして嫌いに変わってしまうかもしれないけど、それもまた、自分の一部であるから、変えることなんてできない。

 

だから、自分は悪くない。自分をコントロールできていないことに気が付けば、

自分と向き合うことが可能になる。

 

前向きに生きようと人々はよく言うけれど、ポジティブという言葉の本質は、

自分を大切にするということなのかもしれない。

 

それは今の私が、ポジティブになろうとしてポジティブになれたのではなく、

自分を大切にしていたら、自然とポジティブになれていたからである。

 

 

 

 

自分を大切にするうえで、一番難しい問題は、自分の欲望と戦うことではなくって、

もしかしたら他人の存在かもしれない。

 

それについてはまた明日、話そうと思う。

 

 

 

このブログが誰にも読まれていなくても、

こうやって文章を書きながら物思いにふけって自分と向き合うことで

すごくリラックスできて、私はこの時間がとても幸せだと感じています。

 

そんな今日に感謝。

 

 

 

感情

 

 

前に、感情がコントロールできないと、そう書いた。

 

ある時、本屋でみつけた一冊の本。

 

”感情的にならない気持ちの整理術” 著:和田秀樹

 

というもの。

 

 

自分をコントロールできないことは、これから生きていくうえで

自分をより不幸にしてしまうかもしれないと思ったから

私はちゃんと向き合いたいと思った。

 

自分と感情の問題について

 

 

 

結果から言えば、私は今ものすごく充実感にあふれている。

 

 

ブログから離れていた数か月の間に、なにがあったわけでもないけれど

生活の環境や条件は、以前とそこまで変わってもいない。

恋人とは続いているし、新しい友達ができたわけでもない。

 

 

他にはなにも変わってないけれど、自分の中の感じ方や考え方を

変えることができた。

 

 

 

さっき話した、本を何度も読んで

自分とうまくつきあえるようになってきた。

 

 

だから毎日がものすごく楽しい。

不安とかあまり考えなくなった。

 

考えたとしても、ちゃんと自分で対処できていた。

 

 

少しだけど強くなれた気がする。

 

世界を違う視点でみられるようになって、生きていることを楽しめるようになった。

 

 

じゃあバイトにいってきます。

どうして、今幸せでいられるのか、それについてはこれから毎日少しずつ

ブログであきらかにしていきたいと思う。

 

 

みなさんの一日が今日も輝きますように。

 

 

 

 

感情のコントロール

 

今日一日の半分以上を、私は不機嫌で過ごした。

 

どんな性格診断や、占いをしても、必ずといってよいほど書いてある私の欠点がある。

それは、

 

感情で動くこと

 

 

感情に支配され、感情に負ける。

 

そんな経験を嫌というほどしてきた。

そして、それは時に人を傷つけることもある。

 

私の感情は、私によってコントロールできていない。

 

気分転換など、そんなこと容易にできない。

というか、何か気がまぎれることをしても、そのことを思い出すだけで腹が立つ。

 

そしてそういう自分自身にも、腹が立つ。

 

 

悪循環のはじまりだ。

 

 

思いきった行動ができるのは、その一瞬、一時の高揚した感情からだ。

怒りもそれと同様、感情がわきおこれば、なかなか回避できない。

 

 

感情とつきあうのはめんどう。でも、感情がなければ、きっとつまらないのも確か。

 

 

他の人よりも、感情に支配されやすいのは、

一体どうすれば治るのだろうか。

誰かに迷惑をかけ、誰かを傷つけ、そして自分自身も傷つける。

 

たった一時の感情で、すべてを無駄にしかねない。

 

感情ごときにどうして打ち勝てない。

 

試行錯誤をしても、結局はその時感じたことが、すべてを支配する。

 

 

感情のコントロールができれば、

 

「大人だね~」「成長したね~」「けなげだね~」

 

なんて言われるのだろうか。

 

世間の人々はきっと上のようなことを口にするだろう。

感情に支配されないことが、大人になるということであろうか。

それなら自然と、大人になれる日がくるのだろうか。

 

 

でも、私の場合…これは先天的にもつ性質かもしれない。そんな気がする。

 

 

私は思うことがある。

 

感情を押し殺すことについて、私はいつも理解できない。

 

どうして、本当に思ったことや感じたことを隠す必要があるのか。

なぜ、自然な感情を押し殺してまで、そうでない自分を演じるのか。

 

世間体を守るため?はたまた自分を守るため?人を救うため?

 

 

嘘をつくことはよくないというのに、なぜ自分に嘘をつくの?

 

自分に嘘ついたことを、優しい嘘だのなんだの言って正当化するの?

感情をそのまま外にだしてはいけないのか?

 

その感情が楽しいものや嬉しいものじゃないとしたら、

それは押し殺して隠しとおして、無理をするのか?

 

それが大人だっていうのか?

 

疑問はどんどん増えていくばかり。

 

 

大人になるのは到底無理な気もしてきた。

大学生になってもう3年目なのに、大人に近づくどころか対抗したいという気持ち。

 

みんなそうやって、大人になっていくの。

 

そんなこと、理解できやしない。

 

 

でも、感情をそのまま感じることで私は失敗を招く性格のようだ。

それはなんとなく今までの経験からもわかる。

 

感情を感じず、いつも冷静でいることなんて、絶対に無理に近い。

 

どうすればよいのか、わからなくなってきた。

 

 

でも一つだけ、思いつくとしたら

 

受け入れる

 

という言葉が、頭に浮かんだ。

 

それはどこかで、何かの時に私が修得したような哲学的な話で出てきた言葉。

 

受け入れることの難しさを私は知っている。

だけれど、受け入れることで得ることも、なんとなくわかる。

 

 

今日だけではこの問題は解決できない。

もう少し、向き合って考えて答えを出したい。

 

 

感情のコントロール

受け入れること

 

 

これがきっと私の課題の一つなのかもしれない。

 

 

過去の自分から

 

 

過去の自分から、学ぶことがある。

 

みんなきっと、そういうことがあると思うけれど…

私は特に、未来の自分へ贈り物をしている気がする。

 

と、いうのも、中高生の時に撮ったプリクラを整理したことがこの話をしようと思ったきっかけだ。

 

大学で下宿し始めて、なんとなく必要と思って持ってきていたプリクラの束。

なんでかはわからないけれど、今まで撮ったプリクラはずっと同じところで保管し続けてきた。

それをわざわざワンルームの部屋に持ち込んで、一体なんになるのだろうか。

結局、大学3年間、そのプリクラをみることはなかった。

 

でも、ようやく色々なことが落ち着いてきたある日。

棚を開けたときに目に入ったプリクラ。そして、その隣にあった過去5年間分の手帳。

いつか、ちゃんと思い出の整理をしようと思っていた。

プリクラの日付をみて、その日付のページに貼る。

 

その作業をしようと、思っていた。それが、私にとっての思い出の整理になるかと。

 

 

プリクラの枚数は信じられないほど多く、どうしてこんなに何度も撮ったのか…過去の自分に飽きれた。

まずはバラバラに束ねられたプリクラを、中学、高校、とわけた後で、西暦で分類して、さらに細かく月日の順に並べる。

それを、手帳の該当するページに貼って、余った分はその手帳の空ページにひたすら敷き詰めて貼っていく。

 

もちろんしっかり切って、すきまなく貼る。

 

昨日からはじめて、今日もほとんどその作業に時間を費やした。

何時間かかったのかもわからないが、なんとかその作業を終えた。

 

私の使い込まれた古い手帳たちは…手帳としての記録だけじゃなく、プリクラの記録も付け加えられた、”プリ帳” へと進化したのだった。

 

細かい作業をやる中で、やっぱりプリクラをこんなにも撮った意味が見いだせず、疑問ばかり残っていた。

 

だが、たった一枚のプリクラで、当時の瞬間の一つ一つを思い出し始める感覚を覚えた。これはとっても不思議で、今まで忘れられていた、引き出しにしまわれた記憶たちが、一つ一つ取り出されていくようなものだった。

その時に起こったこと、出会った人、話したこと。その中で自分が感じたこと。

それらが部分的に、ぽんぽんと頭に浮かび、思い出された。

 

自分はこんなことを感じていたんだな

そういえばこのときはあぁだったな

 

なんて感情が、自然に湧き起こってきた。

 

そしてそれはとても懐かしく、愛しい思い出になっていた。

 

 

 

きっと、これが私が今までプリクラを撮った意味じゃないかな。

 

過去の自分から、得ることがある。

そして、自分は間違っていなかったと、自分らしく踏ん張って生きていたことを知り、また頑張ろう。と思わせてくれるような、そんな思いでたち。

それは、私の場合、手帳とプリクラだった。

 

一緒に写っている人の大切さ。そしてその人たちに対する感謝の気持ち。

 

そういうものは、視野が狭くなっているときに、忘れてしまいがちなもので…

でも、忘れてはいけない大切な大切なことで…それを思い出すことで、自分は救われ、満ち足りた気持ちになれる。

 

この人たちが大好きなんだということ。

自分には必要だった、そしてこれからも必要なんだと。

 

分からせて気づかせてくれるものだ。

たった一度しかプリクラを摂ってない人もいる。でもそれも、過去の自分からのプレゼントで、今の自分を少なくとも必ず、形作る要素になっている。

 

 

手帳のポケットに挟まれていた、一通の手紙。

それは5年前の私からの手紙だった。

 

そんな、ドラマや映画のようなベタなことをよくしていたと思う。

でも、文章を読んだとき、驚いた。

 

今の自分が悩んでいるような、気にしているようなことを、過去の自分はちゃんとわかっていた。そして、励ました。私にとって正しい道へ進めるようにと。

 

 

それで私は、過去からまた新しいことを学んだ。

 

 

そしてこれからまたつまずいて悩んだときは、このルーツに戻ろうと思う。

そう決めた。

 

過去の自分へ、ありがとうと言いたい。