モラトリアム脱出したい学生の毎日

ブログを更新しないまま大学4年生になりました。最後の学生生活。思ったことや考えたことを記しておきます。

不思議な関係?

 

なんの衝突もなく、なんのいざこざもない、とっても平和な関係。

 

それは、私と彼の関係。

 

 

何かがありそうで、何もないふりなのか、本当に何もないのか…

わからないけれど、このままの関係がとっても心地良い気がしている。

 

男女の友情は成立すると、今なら思えるかもしれない。

 

でも、一歩踏み込めないだけで、お互い躊躇しているのかもしれないと思うことも。

 

彼氏彼女のような頻度で会っては、たわいもない話をしながら楽しい時間をすごす。

まるで少年少女にもどったみたいに。

大人と子供の境目を生きている大学生だから、たまに純粋にいざこざを避けた雰囲気を醸し出せるのかもしれない。

 

きっとこの関係を、友達に打ち明けたなら、なんてもどかしいのだろう、本当に何もないのか、男女が一緒にいてそれか、なんなんだそれは、とでも言われるかもしれない。

 

でも、現状はこの 平和な関係 である。

 

私が子供なだけなのか、お互いが子供だから波長が合うのか。

それとも、色々な複雑さから逃れたいからこの純粋な雰囲気やひとときをお互いが自然と求めているのか。

 

それでも、楽しいという気持ちが根源にあって、この時間が平和で愛しいものだと強く感じているのは、確かなことなんだ。

 

この関係を続けていったら、どうなる?

 

そんなこともたまに考える。

でも、平和で自然な関係が、私は心地よいから、このままふわふわとまっていそう。

それともう一つ、結婚と恋愛について

 

恋愛について自分の気持ちを深く深く掘り下げていったら、自分が腑に落ちないところがわかった。

 

腑に落ちないのは、

ある一定期間誰かとすごく親密につきあったのに、「別れよう」の一言で次の日からはほとんど他人のような関係に戻ってしまう

というような、恋愛のはかなさ、みたいな部分。

 

本当に今、大切にしたい人がいて、その人を傷つけないためには親密になりすぎないことかもしれないって思ってる自分がいる。

 

ずっと支えあいたいと願う人とは、いわゆる「友達」の関係の方がいいのかなって。

 

別れるといって、縁をきりたくない。

強く強くそう思う。

 

だから、ずっと支えあうにはきっと…近づきすぎないほうがいいのかなって思ってる。

 

そういうふうに思えることって、つまり結婚に向いてるような感じがした。

結婚って、男女で「家族」というチームをつくることじゃないかな。

2人の力を合わせて色々な問題を乗り越えて、助け合っていくこと。

それが結婚のような気がしてる。

 

そしたら、恋愛とはまた別のことのような、そんな雰囲気がする。

 

私の大切にしたい人は、私とうまく”チーム”が組めてる人のようなんだよね。

 

だから、生きていく中で色々な壁に衝突する時に、一緒にチームとして戦っていける、そんな気がしてるんだよね。

 

ただの恋人関係だったら、チームなんていらないと思う。

 

結婚 と 恋愛

 

は、私の中では少なくとも、別の問題のような感じがしてるってだけだけど…

 

だから、大切な人と距離感がよくわからなくなってるような、そんな気もするんだけどね。

 

ま、まだ結婚するわけじゃないし、いいんだけどさ。

 

 

ビールの話

 

私は、ビールがすき。何かを頑張った後にビールを飲むと、それだけで今日が報われた気分になる。

お酒を飲む大人たちを理解できなかったはずなのに、気がつけばその仲間になっていた。

 

そして、将来は、仕事から帰ってきた私に

「おつかれ」っていってビールを注いでくれる人に巡り合えたらって願ってる

 

普通は、奥さんが旦那さんにビールを注いであげるんだろうけれど…(笑)

私は、仕事を辞める気はなくて…専業主婦にはならない。

そしたら、お互いに働くってスタイルになると思う。まぁ、予定だけど。

 

だから、疲れた私に”おつかれビール”を注いでくれる人がいたらなんて素敵だろう

…なんて考えてるんです。

 

 

でも実は今、結婚したら幸せだろうな、と思う人がいて…

その人と私がどんなふうにビールを囲むかなって思った時、思いついたのはね…

 

 

時には彼がビールを注ぎ、時には私がビールを注ぐという風景

 

 

決して、自分が気分のいいときだけ注ぎあうってことじゃなくて、

自分が調子悪くたって、相手のことを思いやることができたなら、ビールを注いであげる、ってこと。

 

なんかうまく言い表せないけれど…とにかく、

 

お互いが、相手を思いやることができたら、力を合わせてビールを注げるってこと

 

なんじゃないかな?

 

 

ビールの話を何熱く語ってんだって思うかもしれないけど、

私はビールの偉大さをこれからも崇めていくし、

誰かにビールを注いであげるという行動が、思いやりのつまったことだってことを

忘れずに生きていくよ

 

心機一転

 

ブログを何か月も放置している間に、きっと私はまた何回りも成長した気がする。

過去の自分が書いた文章は、正直だけれどどこか幼い様子がした。

 

今は、就職活動という壁にぶつかっているところ。

 

自分がやりたいことをやりたいようにやってやろうと、ようやく決意した。

 

それからの毎日は、今までよりも何倍も輝いて見え、生きることがとても楽しく感じられるようになった。良いことだね。笑

 

そして、将来について考えながら昔の日記を読んでいたら、

文章を書くことが好きな自分を思い出した。

 

そして、もう一度このブログに、自分の思いを書き記していきたいと思った。

 

一人の表現者として、私の思いを、いつかの自分のためにも記しておこうと思う。

 

 

また、よろしくお願いします。

遠距離恋愛2

 

 

 

何をしていても、思い出してしまう。

 

悲しいくらいに鮮明な記憶が、私の頭の中にあって

それがあらゆる現実のものと結びついては、

私の心に響きかける。

 

 

 

そんな体験をしたことある?

 

 

忘れたくないことばかりだけれど、ずっと覚えていれば

辛いのかもしれない。

その人がいなくても頑張れるということを世界に証明し続けないといけない。

 

それが前にすすむということで、そこにマイナスな感情はもっていけない。

 

 

心から大切な人がいる瞬間を、経験してしまったら

その人がいない世界を過ごすことが辛くて辛くてしかたがない。

 

その人がいた場所に行くことが辛く、とても心にのしかかってくる。

 

でも、その一瞬一瞬が本当に幸せだったと思う。

 

 

だから、その幸せに勝てる幸せが訪れるまで、

どうにか自分を保っていかないといけない。

 

 

なんてつらすぎる。

これを糧に生きろなんて、神様はとてもストイックだね

 

 

 

 

これは

 

 

喪失感

 

 

 

喪失感を、経験したのは

人生で二度目。

 

 

一度目は、大切な家族だった愛犬。

 

彼と呼ぶ、その私の犬は、

私にとってとっても特別だった。

 

小さい頃から一緒にいたから。

私の心の中にいつも寄り添ってくれていた気がした。

彼を思い出せば、思い出すほど悲しくって仕方ない。

 

思い出さないように、でも忘れないように

それはっきりいって難しい。

 

技術がいる。

 

思い出さないように生きることと、忘れないように生きること。

 

 

 

その人やその瞬間、ぬくもりや言葉

 

全てのものが

その時自分の幸せになっていて、その幸せが大きいほど喪失感も大きい。

 

 

喪失感が容赦なくふりかかってくる。

 

気を紛らわそうにも、紛らわすことができない。

寝たとしても、夢に必ず登場する。

 

 

喪失感は遠距離恋愛最大の、壁かもしれない。

 

 

でも喪失感には負けたくない。

素晴らしい思い出と、希望が、私を歩かせる。

 

 

 

思う存分、今は喪失感にひたってやるけど、

負けを認めたわけじゃない。

 

私の大嫌いな喪失感を、私の力の一部にしてやる。

 

 

でも今日はまだ喪失感が消えない。

 

 

 

 

目をみて話せる?

 

 

今日も今日とて、突然の話ではあるんだけど…

 

あなたは、誰かと会話するとき目をみて話せますか?

 

 

という質問をしたい。

 

 

なんとなく話をしているときって、目をみることが気まずいと思っちゃって

なんか焦って早口になったり、目が泳いだり…

 

私はいつも、会話してるときどんな感じなんだろうと

思ったとき、自分の姿が滑稽すぎてゾッとした笑

 

私は人に相談されることが少ないと思うし、

話を聞いてない、適当な返事だといわれることがまぁよくある。

 

 

それって、会話の仕方に問題があったのかもしれない。

ある時は、確かに他人に興味がなくて自分の話ばかり人におしつけたいと思っていた。…最低なやつだ。

 

でも、ちゃんと人と向き合おうと思った時からは、

その人のこと考えながら会話してる。…つもりだった。

 

でも、本当に伝えたいことがうまく伝わらなかったり、

話の途中に、なんだか窮屈さを感じてさっさと一人になりたいと思ったりすることも

よくあった。

 

窮屈さを感じない相手は、数人だけ。

まぁそれは親友といえるような子たちだから、少なくて全然かまわないけど。

 

でも会話っていう会話は、人と人の関係を構築するなかで

絶対に必要なことだから、それをうまくできないってことは

コミュニケーションがうまくとれてない可能性はある。

 

 

ただ笑ってごまかして、ジョークを言ってればいいやとか

業務連絡だけ話せばいいやとか、

そういう、いわゆる”逃げ”みたいな部分が私にはあった。

 

 

今もある。

 

でも、窮屈なままの自分でい続けても、そこから窮屈さはなくならないかもね。

 

本気で会話しているとき、自分が思ったこと感じたことをそのまま相手に

伝えて、自分がこう言いたいと思ったことをはっきりと相手の目をみて

口にすることができたら…

そういう自分を非難する人もいるかもしれないし、そういう人の方が多いかもしれないけど、逆に、自分をはっきりと理解してくれる人もいるかもしれない。

 

本気で話せば、本気でわかってくれる人が、あなたと同じことを考えてるよっていう

人がいるかもしれない。

 

その人の存在に気づける。

 

そこから信頼がうまれて、大丈夫っていう安心がともなって…

人とつながれる。

 

 

信頼関係のはじまりはそこからかもしれないよね。

 

 

 

今の私に本気で信頼している相手がいるのかどうか、

もう一度考えてみたい。

そして、信頼すべき相手は、私が頼り頼られるべき相手は誰なのか

もう一度考えてみようと思う。

 

 

そして相手の目をみて、しっかりと相手と会話できるようになりたい。

 

 

 

 

 

神様は気がついてる

 

 

今日は、私の新しいアルバイト先であったとある話をしたい。

 

 

事情はともかく、最近の私はイライラして人嫌いで、

とてもじゃないけど幸せなんて感じられてなくて

それはもしかしたら体調が悪いからなのかもしれないけど

薬を飲んで落ち着かせないとどうにもイライラしてしまって

精神不安定だった。

 

 

そんな中、休み明けにいったアルバイト先で

同僚の言った言葉が頭からずっと離れないわけです。

 

 

ただのコンビニエンスストアで、

店内にはイートインスペースがあって、そこにはいろんな色のいすが並べてあった。

 

窓側の一人席。

そして丸いテーブルを囲む3人席。

 

私は掃除を任され、この椅子たちをどうやってどかしながら掃除をしようか考えていた。

 

そして、その同僚がきて

自分がやっているある一つの掃除方法を教えてくれた。

 

 

掃除方法が特別だったわけじゃない。

 

いろんな色のいす。コンビニではめずらしいかもしれない。

見た目は確かに、カラフルでかわいらしい。

私がはじめに店内に入ったときも、

そう感じた。コンビニの一角だけど、素敵な空間だと感じた。

 

 

その椅子たちも毎日同じ配置では簡単に変わりない風景となってしまう。

私の目もきっと、もう慣れた。

 

あの場所を使う人の気持ちや目線よりも、あの場所をよく知っている店員としての

目線になってしまっていた。

 

それが悪いことではない。

けれど、同僚がいった。

 

 

「俺はね、掃除のついでに椅子の配置、変えたりしてみてる。」

 

最初はその意味がわからなかったし、

どうしてそんなことしてるのかと思った。

 

”どうでもいい”

 

と思った。すぐにそう思ってしまった私の心は、なんだか悲しい。

 

私が不思議そうな反応をしていると、

「毎日ここに来る人がいつも同じだとあれかなーと思って。」

 

と照れ笑いしながら言った。

 

 

 

心に衝撃がはしった。

こんなに世界に優しい人がいたのだと、私は実感した。すごくすごく実感した。

 

 

私の働くコンビニは特殊で

病院や介護施設など医療系の建物の並んだ敷地内にあって

訪れるお客さんは、どこか怪我をしていたり、高齢だったりする方が

多かった。

 

 

毎日同じ景色をみることが、不幸せなわけではないけれど

それが人生に悲しさや、つまらなさを感じさせてしまう時もある。

 

幸せな心がみる世界はきっといつも明るく素敵で幸せにうつる。

 

 

けど、哀しさやつまらなさ、景色がくすんでみえる人は

心になにかしらの不安がまとわりついていることが多い。

 

その心は、人々の気遣いによって和らぐこともある。

 

 

私の同僚が、次使う人のために、毎日ここを訪れる人のために、

いすの色を変えていた。

それは彼の気遣いで、それはもしかしたら、どうでもいいことで

そんなことで何が変わるっていうようなことかもしれない。

 

 

でも、その気遣いにきっと救われている人がいる。

知らずに、心が温まってるかもしれない。

 

 

私はきっと彼のことを、神様がちゃんとみていて

そういう彼みたいな人が、この世界でものすごく強くて貴重な存在なんだと

いうことに気がついた。

 

 

私は彼のことをとってもとっても素晴らしい人だと感じた。

そして、そんな優しい同僚のことを

好きになった。

 

それは恋愛感情の好きとかとは別で、なんだか人間としての魅力を感じたと

いうか…

 

 

世界にはこんなに素敵な心をもった人がいることを

神様きっと見落としてはいない。